道と路と未知のウラ側

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【しずない桜まつり】満開の新ひだか町「二十間道路桜並木」を走る

季節はすっかりと初夏へと移行していますが、北海道の桜の時期に「日本さくら名所100選」にも選ばれている、日高地方・新ひだか町静内の「二十間道路桜並木」へ動画撮影に行って来ました。

日付は5月2日で、丁度「しずない桜まつり」の最終日でした。本来、今年のまつり期間は4月24〜29日まででしたが、桜の開花状況を鑑みて急遽5月2日まで延長されたとの事です。

エゾヤマザクラを中心に約2000本以上の桜が約7kmの直線道路の両側に姿を見せる風景は、時に「日本一の桜並木」と称される事もよくあります。

道路は一般に二十間道路と呼ばれており、明治から戦前にかけてこの地にあった新冠御料牧場(現在は「独立行政法人 家畜改良センター新冠牧場」)と静内市街地を結ぶ道路として、また牧場を視察に訪れる皇族の「行啓道路」として、幅20間(約36m)の規模で1903(明治36)年に造成されたのが始まりで、当時は中央道路と言われていました。

桜並木の方は1916(大正5)年から3年の歳月をかけて、近隣の山々からエゾヤマザクラ等を移植したのが始まりです。

下の動画では、約7kmの二十間道路桜並木を最初から最後まで往復走行しておりますので、魅惑の桜並木を是非ご覧下さい。

【関連動画】

こちらは桜まつりのイベント会場。「花のトンネル」と呼ばれている場所です。

エゾヤマザクラの花はソメイヨシノに比べると鮮やかなピンク色です。また人工種のソメイヨシノに対し、エゾヤマザクラは野生種の為、個体差が大きいのも特徴。開花と同時に葉が出てくる性質もあります。

今年の「しずない桜まつり」の来場者数は約7.5万人で、前年比8000人増だったそうです。ただし新型感染症の年を除くと、ほぼ毎年10万人以上の人出があった事を考えると、少し寂しい印象。

帰途にJR日高本線の中心駅だった旧JR静内駅へ寄ってみました。

日高本線苫小牧駅から様似駅までの太平洋沿岸を結ぶ路線でしたが、2015年に線路が高波で被災して鵡川駅以南が運休状態に。結局2021年に鵡川駅以南の鉄道は廃止され、正式にバス転換されました。その結果、日高本線日高管内を通らなくなり、路線名のみにその名を残す事に。

現在はバスターミナル待合所と観光案内所になっている旧駅構内。

期間限定(4/24〜5/6)で旧ホームに出る事も出来ました。

苫小牧方向です。

GWの一般公開に向けて草取りくらいは実施したのでしょうが、廃駅ホームとは思えない位きれいな印象でした。レールが錆びている事を除くと、今にも列車が姿を見せそうです。

様似方向です。

 

大きな都市のない北海道・日高地方。しかし(記事内では紹介できませんでしたが)競走馬牧場を始め「これぞ北海道」らしい風景がたくさん広がっています。


【北方領土】納沙布岬から歯舞群島とクジラ?を望む

今回の記事は3月14〜15日に渡り、本土最東端の自治体・北海道根室市を訪れた前回のブログ記事の続き・後編になります。

流氷が岸に寄せていた納沙布岬

丁度、上の「本土最東端 納沙布岬」の碑の付近を動画撮影していたところ・・・

動画の拡大画像なんですが、何かが泳いでおりました!クジラ?シャチ?イルカ?

下の動画でその様子が短い時間ですが見られます。

【関連動画】

動画内では北方領土に関する解説も行なっており、その方面の学習にもなりますので、興味のある方は是非ご覧ください。

納沙布岬のある「望郷の岬公園」内に建つ「北方館」です。

時の内閣総理大臣大平正芳による揮毫。

館内の様子です。望遠鏡が数多く設置してあるので、北方領土歯舞群島のロシア側地上設備まで確認する事が出来ます。

館内の窓から東の海を望みます。

水平線上を見ると台地状の北方領土歯舞群島がしっかりと確認出来ます。見えている陸地は恐らく水晶島で、岬から7km離れています。

また画像の右側に水面から出た突起物も見る事も出来ますが、これは日本が戦前の1937(昭和12)年に建設した貝殻島貝殻島灯台です。ただし岬から3.7kmしか離れていない貝殻島灯台も現在ではロシアが実効支配するに至っています。

一つ上の写真の拡大画像です。画質は少し荒いですが、先祖たちの陸地が明瞭に見えます。

こちらは貝殻島灯台を出来るだけ拡大してみたものです。

グーグルマップより。何となく北海道の形に似ているのが水晶島です。

 

さて、以下の「北方領土問題の経緯」は独立行政法人 北方領土問題対策協会のパンフレットより。

北方館には北方領土に関する歴史的資料や外交資料も数多く展示してありました(いずれも写本)。

上は1855(安政元)年の日露通好条約と1875(明治8)年の千島樺太交換条約。

1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約の書面も展示されていました。

戦後、旧ソ連との国交回復を意味する日ソ共同宣言の書面。

こちらは間宮林蔵による択捉島の沿岸図。1807(文化4)年。

近藤重蔵による北方地誌「辺要分界図考」で、1804(文化元)年のもの。近藤は1798(寛政10)年と1800(寛政12)年の2度に渡って、択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を建てています。

場所は変わって、同じ望郷の岬公園にある「根室市北方領土資料館」。

こちらでは島の自然環境や、当時の島民の生活資料等が展示されていました。

クジラの骨を鳥居に利用した戦前の色丹神社の展示です。

北方4島のパネル展示。

島民が使用していた当時の防寒具等。

戦前、根室国後島を結んでいた海底電信ケーブルです。

終戦時、北方領土には歯舞群島5281人、色丹島1038人、国後島7364人、択捉島3608人の合計1万7000人以上が住んでおり、この数字は簡単に調べる事が出来ます。ただし当時は択捉島以北も日本領だった為、その北千島島域にも少ないながらも日本人は定住していたはずですが、その数はよく分かりませんでした。

北方館の隣に建立された北方領土返還祈念モニュメントの「四島のかけ橋」。灯火台には「祈りの火」が灯されていて、この火は1972(昭和47)年5月15日に祖国に復帰した沖縄の南端・波照間島で自然採火されたものがリレー形式で運ばれて来たものだそうです。

自動販売機には根室の特産品の花咲ガニ等が売っていました。

 

今ブログ記事に添付している動画には、記事以上に北方領土に関する情報が収録されており、更に北海道道35号根室半島線(オホーツク海側・納沙布岬根室市街地)の様子も詳細に収録されています。途中、頭に雪を頂いた国後島の姿が見えたりもしていますので、改めて是非ご覧下さい。

今回のドライブ、最後に国道44号沿い矢印付近の風蓮湖湖畔でタンチョウヅルを見る事が出来ました。

道東地方に住む人にとっては珍しくはない風景なのでしょうが、地域外のブログ筆者にとっては新鮮な遭遇でした。

【本土最東端】流氷の納沙布岬へ

日本本土の最東端は北海道根室市納沙布岬。そこから一番近い北方領土の島まで、わずか3.7kmしか離れていません。

道産子のブログ筆者、実はこれまで根室地方にだけは北海道の中で行った事がありませんでしたが、この度、遂に意を決して3月14〜15日に動画撮影の目的で初めてこの地方へ行って参りました。

納沙布岬を訪れたのは3月15日。岬へ行くには北海道道35号根室半島線(主要地方道)を走ります。

この道道35号の様子は下の動画にて詳しく見る事が出来ます。勿論、納沙布岬での情景も収録しておりますので、是非ご覧下さい。

【関連動画】

納沙布岬のある「望郷の岬公園」の駐車場です。見えているアーチ式の建造物は「四島のかけ橋」というモニュメント。四島とは北方領土国後島択捉島色丹島歯舞群島の事です。

「本土最東端 納沙布岬」の碑。

ただし厳密な意味で納沙布岬は、この碑の右手に見える灯台の先になるようです。前夜の風雪のせいか、周辺は流氷が接岸していました。

近くには「返せ北方領土 納沙布岬」という碑もあります。

この日は北方領土納沙布岬から一番近い歯舞群島がよく見えました。歯舞群島は地形が平らな台地状ゆえに水平線からは目立ちませんが、この記事に掲載している画像でもハッキリと写っています。

北方領土に関しては次回の記事で触れます。

流氷の接岸も北方領土への視界も天候次第なので、とてもラッキーでした。

こちらは納沙布岬灯台。1872(明治5)年の初点灯で、現存するものとしては北海道で最古の歴史を持つ灯台です。どうやら工事中のようで、これ以上近くに行けませんでした。

納沙布岬灯台から右手に広がる太平洋。こちらの方面は流氷の残滓が回り込んでいる程度でした。

 

今回掲載した動画は道道の起点・根室市街地から納沙布岬までの内容でしたが、次回は納沙布岬から道道の終点までの映像となる予定です。

【北海道ボールパークFビレッジ】冬のエスコン、どんな感じ?

2025年のシーズンも始まった日本プロ野球北海道日本ハムファイターズの新本拠地「エスコンフィールドHOKKAIDO」も3年目のシーズンになります。

この球場はオフシーズンも一般開放されており、 球場を中核とした「北海道ボールパークFビレッジ」はプロ野球観戦以外でも、年間を通して楽しめる日本初のボールパーク施設という位置付けで誕生しました。そしてその結果は今年1月に発表された2024年のFビレッジ年間来場者数にてプロ野球公式戦が207万人、それ以外が211万人という数字となって示されています。

そこで完全なオフシーズン・冬のエスコンフィールドHOKKAIDOがどんな様子なのか、JR北広島駅から徒歩で行ってみる事にしました。

日付は2月17日(月)、12:00頃のJR札幌駅前です。これからJRで北広島に向かうのですが、その前にJRタワーの展望室に行ってみる事にしました。

2003年に竣工したJRタワーは地上38階、展望室の高さは地上160mです。

札幌駅の南側。

こちらは東側。

線路は函館本線旭川方向で、路線の右側にて北海道新幹線幌延伸用の軌道増設工事を行っているようです。

展望室の様子です。

さてJRにて北広島駅に移動後は、徒歩でエスコンフィールドを目指します。

普通は駅の西口から赤ルートで球場へ向かうのが一般的ですが、少し遠回りになるものの今回は東口から青ルートで進みました。

理由は以下の2つ。

①ファイターズを誘致してボールパークを成功に導いた北広島市長に敬意を表する意味で、北広島市役所を経由出来る。

②3つの北海道道(371号北広島停車場線、46号江別恵庭線、1080号栗山北広島線)を通る事が出来る。

尚、今記事の具体的な内容は下の動画となっていますので、よかったら是非ご覧下さい。

【関連動画】

因みに試合の無い日のエスコンの入場は無料です。

エスコンは昨年まで内外野のフィールドは共に天然芝だったものの、今年のシーズンから内野のみ人工芝に変更されています。採用されたのはB1Kという米国MLBの球場でも複数採用されているもので、日本ではエスコンが初となります。

エスコン側は人工芝を導入するメリットとして、

①ホーム、ビジター両チームの試合前練習の制約の減少

②少年野球などアマチュア野球の利用増加

③多様なイベントでの利用拡大

の3点を挙げています。

外野フィールドにて見えているのは、天然芝養生の為の植物用照明(グローライト)。

こちらはブルペンです。

コンコースの様子。イベントの無い平日の月曜日でしたが、筆者が見た限りではファイターズのグッズショップ、日本ハムのホットドッグのお店、クラフトビールの「そらとしば」等が営業していました。

その「そらとしば」の2Fルーフトップには、ムーミンに出てくる "ニョロニョロ" がいっぱい!

実は2024-2025年にかけての冬期間は「ムーミン ウインター ランド」と題して、コラボ企画が行われていました。

オフシーズンでもファイターズガールの案内による「エスコン スタジアム ツアー」は行われています。

さあ、今シーズンのファイターズはどんな戦いを見せてくれるのでしょうか?

球場の外に出てきました。

こちらは3塁側の「F ネオバンクゲート」前から、アンビシャス通り及びJR千歳線方向。

JR新駅はこの方向に出来るそうです。アンビシャス通りの向こう側では、もう何やら工事が始まっていますね。

工事用フェンスの表記は「(仮称)Fビレッジ自走式駐車場新築工事」。JR新駅自体のものではありませんでした。新駅工事は昨年11月2日に工事の安全祈願が行われて着工しています。工事の本格化は雪が解けてからの事でしょう。

暗くなってきました。

氷が張った池の上のクリスマスツリー。ここはスケートリンクでもあります。

派手ではありませんが、綺麗なイルミネーションです。

プロ野球オフシーズンの平日でも、JR北広島駅エスコン間のシャトルバスは30分に1回程度は出ていました。

札幌に戻って、JRタワー札幌アピア フードウォークB1Fの「万豚記 札幌店」にて夕食を頂きます。

たくさん歩いたので、ボリュームのある豚肉青菜炒飯セット。炒飯、とても美味しかったです。ご馳走様でした。

【日本最東端の駅が廃止】東根室駅の最後を見届ける

2025年3月15日のJRダイヤ改正で、それまで日本最東端だった駅が廃止されました。

そこで当該駅である「東根室駅」の最後を見届ける為に、3月14〜15日にかけて根室まで行って来ました

尚、今記事の具体的な内容は下の動画となっていますので、よかったら是非ご覧下さい。

【関連動画】

根室市花咲港の遠景。

今回の根室行きは、この花咲港付近で宿を取りました。

花咲灯台です。

そしてその海岸。

灯台の下の方にある国の天然記念物・根室車石。柱状節理が放射状になっていて、とても珍しいものです。

島影が見えます。

あれはユルリ島及びモユルリ島でしょうか。ユルリ島は昔、昆布漁の労力として持ち込まれた馬の子孫が野生化して生息している事で知られています。ただしユルリ島の馬は一時は30頭前後いましたが、2017年の時点で3頭となっており全て牝馬の為、いずれ全て消えゆく運命なのだそうです。

起点が花咲港を示す道道310号花咲港線の標識。終点が根室中心市街地なので、約5kmほどの比較的短い路線です。

道道310号終点からほど近いJR根室駅。3月15日から64年ぶりに日本最東端の駅となりました。

そして3月14日まで日本最東端の駅だった東根室駅。時刻は18:00少し前。

東根室駅は根室本線が全通した1921(大正10)年から40年後の1961(昭和36)年に開業。開業の背景は戦後の周辺の住宅地造成による人口増や、根室高校への通学の足としての目的もあったようです。しかし社会事情や交通情勢の変化により、この度廃止へ。

1面1線、板張りの単式ホームの小さな駅でした。

尚、3月14日の最終停車(21:42)の様子は、是非上の動画でどうぞ。

3月15日、元東根室駅です。日本最東端の記念碑はブルーシートで覆われていました。

当然、駅名を示すプレートは撤去されており、ホームにも立ち入れなくなっていました。

上に添付した動画は根室駅始発・8:27の普通列車が元東根室駅を通り過ぎるシーンで締めくくられています。

こちらはJR根室本線を示した図。

昨年の富良野新得間の廃止により、この路線は2つに分断された形になっています。そして残る区間も、滝川〜富良野間と釧路〜根室間(通称:花咲線)が「JR北海道単独では維持出来ない線区」とされています。

最後に話は変わりますが、ブログ筆者は北海道在住ながら今まで根室に行った事がありませんでした。で、今回知ったのが根室銘菓「オランダせんべい」。昭和40年頃から売られているそうで、ベルギーワッフルを薄く大きくしたような見た目と、弾力のある柔らかさが特徴です。これがなかなか素朴な味で、美味しかったです。

【平和通買物公園】旭川のメインストリートを歩く in 旭川冬まつり

2月6〜11日まで開催された旭川冬まつりの期間中に、旭川市のメインストリートである「平和通買物公園」を歩いて動画撮影を行いました。

平和通買物公園は日本初の恒久的歩行者天国として知られており、また冬まつり期間中は「氷彫刻世界大会」の作品が並べられてもいて、通りを紹介する上では良いタイミングでした。

平和通買物公園旭川市中心部における国道の配置図です。

2月9日、JR旭川駅前。右側は駅連結の「イオンモール旭川駅前」です。

こちらは同じ場所から駅を背に北に延びる平和通買物公園の風景。

駅前の宮下通を渡って、平和通の歩行者天国スタート。綺麗な氷像がライトアップされているのが分かります。

直ぐに駅側を振り返ったところ。

通りは海外の方も多かったですね。聞こえてくる言葉が日本語と異国語で約半々でした。

一条通付近にあった氷彫刻個人戦最優秀賞だった作品。題名は「流れる氷美(ひみ)」といいい、表現されているのは3匹の魚(鯉?)でした。東京の方の作品です。

氷彫刻は個人戦22基、団体戦14基の計36基が出展されていました。

一条通を越えて、旭川駅方向を振り返ったところ。

左側はかつて旭川西武A館が建っていた場所で、現在はツルハ旭川中央ビル。上層階はホテルになっています。

右側はこの3月完成予定というからもう完成したのかな?25階建てのマンション「プレミスト旭川ザ・タワー」。札幌ドームのネーミング・ライツを取得した大和ハウス工業デベロッパーです。

そのまま北側の四条方向に向き直ったところ。

もう少し進んで、二条通前から四条方向の光景。

四条通です。この交差点の右側が国道39号(起点)。

で、左側が国道12号(終点)。

実はこの歩いて来た平和通、現在は旭川市道ですが戦前は師団通と称され、戦後の歩行者天国化の前は国道でした。

これは旭川大橋(1969年架橋)の建設計画が具体化した頃の新聞記事の略図です(1966年9月16日 :  北海道新聞)。

略図によると、当時の旭川市中心部の国道配置はこのようになっていたのですね(国道237号は省略)。

1969年の旭川大橋完成から1972年の平和通買物公園誕生までの国道の変遷や師団通時代からの歴史、そして平和通の歩行者天国化の経緯は下の関連動画で触れています。

また併せて前日2月8日の冬まつりメイン会場の様子&打ち上げ花火も収録しているので、是非ご覧下さい。

【関連動画】

五条通を渡って直ぐ右側にある飲食施設「旭川はれて屋台村」。旭川出身の杉村太蔵氏のプロデュースです。

五条付近から買物公園の北方向。だいぶん寂しくなって来ました。

栄えている四条以南(旭川駅〜四条)と衰退している四条以北(四条〜八条)とで区切って、40年ほど前から「南北格差」と呼ばれて来ましたが、近年は少子化等による人口減少と郊外店の充実で、四条以南もかなり厳しくなりつつあります。

大型商業施設も次々と閉店してホテルやマンション、最悪は駐車場に替わっており、もはや「買物」公園とも言えなくなりつつあります。

六条通付近にあった氷彫刻団体戦最優秀賞の題名「独眼竜政宗」です。作者は神奈川県の方々で、躍動感が素晴らしい作品ですね。

 

さて買物公園の現状を踏まえて、近年は一部に「四条以北だけでも車通行を復活させては?」という意見があるそうです。車通行で人通りが増えるとは限りませんが、これも一考の余地はあるでしょう。東京など極一部を除いて、日本全体が人口減少の局面なのですから。

【稚内市内ドライブ】稚内公園~稚内港北防波堤ドーム

2025年最初の記事は昨年7月2日の稚内市内ドライブの記事になります。

ルートは稚内公園から稚内港北防波堤ドームまで。

稚内公園の開基百年記念塔・北方記念館前から宗谷海峡を望みます。

ここは海抜約170m。よく見つめると。

ぼんやりと島影が。

サハリン(旧樺太)が見えますね。つまり向こうは戦時国家ロシアという事になります。

北方記念館の職員さんによると、ここから樺太が見える日数はあまり多くないとの事。冬の乾燥した晴天の日ならもっとよく見えそうですが、残念ながら稚内公園内の道路は急勾配かつカーブが多いため、冬期間の車両は通行止めだそう。

百年記念塔の1・2F部分は稚内市北方記念館になっています。

ここでは稚内樺太等の歴史資料展示や、樺太が島である事を確認した間宮林蔵の足跡紹介、北方アイヌの資料展示等がされています。

1945(昭和20)年8月20日の真岡郵便局事件に関する展示パネル(2F)。尚、この事件を含め今回のブログ記事の詳細は以下の動画を参照してください。

【関連動画】

それでは出発して、稚内公園の各種記念モニュメントが集まっている丘の中腹まで下ります。市街地と港を見下ろしながらの素晴らしい車窓のコースです。

戦前の日本領時代における旧樺太師範学校の「教學之碑」。

こちらは1969(昭和44)年に造られた「昭和天皇行幸啓記念碑」。当時の天皇皇后両陛下が真岡郵便局事件で犠牲となった女子職員を悼んで詠まれた和歌が刻まれています。

稚内のシンボル的存在の「氷雪の門」。

終戦時のソ連軍侵攻による犠牲者を含めた、樺太で亡くなった全ての邦人の慰霊碑です。

真岡郵便局事件の「九人の乙女の碑」。

彼女たちを含め、真岡郵便局では終戦時に合計19名が殉職しています。詳しくは動画内で解説しています。

戦後日本の南極観測で多大な貢献をした樺太犬関連の記念碑もありました。

これは「南極観測樺太犬訓練記念碑」。南極に出発する前、犬ぞり隊はこの稚内公園で訓練を受けています。

稚内公園を出発して、稚内港北防波堤ドームに向かいます。

画像の信号から先は北海道道407号稚内港線。総延長333m、実延長170mの短い道道です。このまま直進すると北防波堤ドームに至ります。

稚内を代表する建造物・稚内港北防波堤ドーム。

1931(昭和6)~1936(昭和11)年にかけて建造されました。古代ローマギリシャ建築のような雰囲気です。

車両が進める所まで行ってみました。

港には海上保安庁の巡視船「りしり」が停泊中。

稚内には航空自衛隊のレーダーサイトもあります。戦後の東西冷戦期はここが日本の国防の最重要地点でしたが、ロシアによるウクライナ侵攻で再びこの地域は沖縄方面同様に重要地域となりました。

東側から見た北防波堤ドーム。

 

現在の国境の街・稚内南樺太との関連で、特に終戦時に激動のドラマがありました。それらの出来事は戦後、一般的にはあまり国民に知られていないですが、日本人ならば是非知っておいて欲しい事柄が多々あります。

動画で色々と触れていますので、改めて参照頂ければ幸いです。