道と路と未知のウラ側

道路に関するYoutubeやってます!

【芦別・炭鉱史跡】芦別市の「炭鉄港」構成文化財を巡る

目次

● 「炭鉄港」とは何ぞや?

7月13日に芦別にドライブした際、「芦別温泉スターライトホテル&お風呂cafe星遊館 」で数時間過ごした後で、市内の炭鉱関連史跡を巡ってみました。

芦別の炭鉱史跡のうち、日本遺産「炭鉄港」(2019年認定)を構成するものは2つ。
そもそも「炭鉄港」とは何ぞや? ですが、以前記事にしています。

● "炭鉄港" 構成文化財「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」

では「炭鉄港」構成文化財の一つ目。

「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」です。
この画像は道道115号芦別砂川線沿いの「炭山川橋展望広場」からのものです。

石炭運搬の専用鉄道で、竣工は1945(昭和20)年。1989年まで使用されました。因みに、芦別最後の坑道掘削炭鉱である「三井芦別炭鉱」が閉山したのは1992年です。

国道452号から見た橋梁。
2009年には産業遺産として国の登録有形文化財に指定されました。ただし「文化財」なのは橋梁であって、ディーゼル機関車と石炭貨車は文化財ではないとの事です。

● "炭鉄港" 構成文化財「旧頼城小学校校舎」

それでは二つ目。

そのまま国道452号を進むと、あったのは「旧頼城小学校校舎」。
入口にロープが張られていたので、遠くからの撮影です。

1954(昭和29)年建設の小学校校舎で、レンガ造り一部鉄筋コンクリート造り2階建てです。
その前年に火事で焼失した頼城小学校を三井鉱山(株)が総工費の全額を負担、レンガ70万個を用いて再建したもので、国の補助金を受けずに私企業が全額出資とは、当時の炭鉱業が如何に儲かっていた事かを物語っていますね。
1958年に41学級、児童総数2,214名を数えた頼城小学校も2002年に閉校。2008年に国の登録有形文化財に指定されています。

現在は通信制の星槎大学が2004年から「芦別キャンパス」として使用しています。もっとも、キャンパスとしての使用頻度は少ないようで、大学側の文書を見ると

「芦別キャンパスの大学施設は国の登録有形文化財に指定されていることから、2020(令和2)年3月31日付で大学セミナーハウスとして利用することといたしました。 今後、地元の方々と協力しながら地域貢献の拠点として活用していく予定です。」

という記述を見つけました。

下は2022年に旧頼城小学校を訪れた記事(画像が多くあります)。

● 芦別のその他の炭鉱史跡

以下はその他の炭鉱史跡です。

旧頼城小学校の先を更に国道452号で進むと、現在の頼城市街地の中に「坑夫の像」がありました。

元々は戦時中に石炭増産を目的に制作されたものでしたが、風化損傷が著しかった為に改めて複製像を制作したという経緯が書かれています。

そして同じ頼城市街地の少し外れに、ある廃墟がありました。

これは「旧三井芦別炭鉱水明荘」と言って、三井芦別炭鉱で働く男性たちの独身寮だったとの事。炭鉱閉山後は近くのトンネル工事の宿舎として2004年頃まで使用されることもあったようです。
この建物は2代目で、以前の水明荘が火災などで使用が厳しくなり、昭和50年代に新築あるいは大規模改修が行われたという事で、比較的新しい建物という雰囲気が漂っていますが、使われなくなってからは急速に廃墟化が進んでいますね。
一応、今でもどこかの私有物っぽいので、中に入るのは控えました。それに筆者は「廃墟マニア」でもないのでね。

今でも芦別には、こういった「炭鉱を中心とした栄枯盛衰を物語る遺物」が各所に残されています。

【芦別温泉 スターライトホテル】 ” お風呂café星遊館 ” の「平日ランチパック」でダラダラ過ごす

目次

● 芦別温泉スターライトホテルと "お風呂café" とは?

7月13日(月)の芦別ドライブにて、芦別の名木・黄金水松を見物した後は、「芦別温泉 スターライトホテル&お風呂cafe星遊館 」に向かいました。

「芦別温泉 スターライトホテル」は市営の温泉施設を、1989年にリゾートホテル風の建物に建て替えたものです。
ただ、それでも当初は赤字続きでしたが、近年は指定管理者制度で某民間企業に運営を委託。そこで運営会社は2019年に "お風呂café" を導入して、これが大成功。そして遂に黒字化を達成したのです。

そもそも "お風呂café" とは何ぞや? という方は、以下の公式HPをご覧ください(芦別温泉 スターライトホテルの公式HPとは異なります)。

北海道内での "お風呂café" は現在のところ、ここだけです。

● お得な「平日限定 入浴食事パック」

到着したのはお昼前後。
そこでまず昼食を摂ろうという事になるのですが、「ランチ付き平日パック」なるものがあるらしいのです。

2000円ですか。
お風呂(タオルセット付き)、食事、コーヒー&デトックスウォーター飲み放題、そして大量の本に囲まれてダラダラ・・・2000円なら安いですね(因みにマッサージチェアも無料です)。

「空のカフェ」というレストランコーナーです。

我々は3人だったので、こちらの席で。

「平日ランチパック」は幾つかの食事メニューからの選択になります。ソフトドリンクもフリーでした。
画像は「黄金たまごのオムライスプレート デミグラスソース」です。お味はもちろん、とても美味しかったですよ。

● ぬめりのある温泉の湯

食事を終えて、お風呂へ向かいます。廊下には芦別の往時の写真がたくさん掲示してありました。

説明書きには、昭和40年の西芦別町の全景とありました。
三井芦別炭鉱の社宅群がズラッと並んでいます。この時のこの地区だけで人口が9200人を数えました。
ここだけで完全な "一つの街” でした。

こちらは昭和47年の頼城町全景。
三井芦別炭鉱第2坑社宅群と選炭機工場群です。

お風呂のエリアにやって来ました。

源泉は2つあるようです。以下は温泉成分分析表から。
先ずは上のデータ。

日付 令和6年7月5日
申請者 芦別市長名
源泉名 芦別温泉
泉温  9.7℃
pH値 7.2

泉質 低張性中性冷鉱泉
泉質 含硫黄ーナトリウム・マグネシウムー炭酸水素塩冷鉱泉

下のデータ

日付 令和6年7月5日
申請者 芦別市長名
源泉名 芦別温泉
泉温  12.6℃
pH値 7.3

泉質 低張性中性冷鉱泉
泉質 含硫黄ーナトリウムー炭酸水素塩・塩化物冷鉱泉

この温泉は油谷芦別炭鉱敷地にあった旧油谷小学校の体育館下から湧出した源泉を利用しています。
お湯は "ぬめり" がしっかりと感じられ、肌にとても良さそうです。

お風呂の様子は直接公式HPでご確認ください。

コーヒーとデトックスウォーター。

● ダラダラと過ごしたい「ブック&リラックスコーナー」

お風呂エリアにも「ブック&リラックスコーナー」があります。

この日、13:45から利用者が全員無料で参加できるビンゴ大会がありました。ブログ筆者は見事上位ビンゴ者となったので、景品ゲットです。参加無料なんだから、本当に儲けもの。

「ブック&リラックスコーナー」とは別の休憩所。
この日は月曜日だったので、こちらを利用している人の姿はあまり見かけませんでしたが、赤ちゃんのような小さい子連れファミリーには周囲にあまり気を遣わずに子供対応が出来る場所です。

フロント側の「ブック&リラックスコーナー」。

ダラダラと過ごすには最適な環境が整っています。

炭鉱で栄えた芦別市は「炭鉱後」を見据えて比較的早くから、観光に力を入れて来ました。
1984年の「星の降る里・芦別」宣言はよい例で、この施設もそのコンセプトを継承しつつ "お風呂cafe"を上手く取り入れました。
1990年前後の観光の目玉施設「北の京・芦別」も、テーマパーク「カナディアンワールド」も経営破綻してしまった今、この「スターライトホテル」が成功しているのは、地方の衰退を危惧するブログ筆者にとってもささやかな希望です。

以下の記事内の動画では「炭鉱後を観光に賭けた芦別の夢」を道路の話と絡めて描いています。良かったらご覧ください。

【芦別・黄金水松】1700年の歴史を見つめてきた名木

目次

● 芦別市の「黄金水松」とは?

7月13日(月)、YouTube動画制作のための追加撮影で芦別を訪れた際、その道中に北海道指定の文化財(天然記念物)になっている巨木があるので、そこを訪れてみました。因みに当日追加撮影したYouTube動画は以下です。

その巨木は「黄金水松(こがねみずまつ)」と呼ばれているもので、黄金は地名、水松はイチイの別称として使われているようです。イチイは北海道や東北ではオンコという呼び名の方が馴染みが深いかもしれません。

太く、どっしりとした木ですね。
樹高21m、幹周6.2m、枝張は15mほどあって、1991年に報告された環境庁の『日本の巨樹・巨木林』では、同じ樹種の幹周で全国8位、道内2位の太さを誇っているとの事。
推定樹齢は1700年(2001年のコアサンプル調査)とみられています。1700年前と言えば、日本の歴史では邪馬台国から大和朝廷に至る間の「記録がない日本史空白の150年」の時期に相当します。
壮大な時間軸に思いを馳せると共に、寒さ風雪の厳しいこの地で、よくこんな大木が・・・という感じですね。

● 戦前における黄金水松の立ち位置と、終戦直後の保存運動

かつて戦前、この一帯は上班渓(かみぱんけ)御料林と呼ばれる皇室所有の森林でした。この黄金水松は1932(昭和7)年に宮内省帝室林野局によって保存木に指定されました。
戦後、御料林は皇室の手を離れ、開拓の対象になって民間に払い下げられる可能性が出てきます。それはイチイが伐採される可能性も含んでいたので、芦別の人たちは保存運動を行って巨木を守ってきました。結局、土地は市に払い下げられる事となります。

1700年の老木ですから、縄文杉(直接見た事はないけれど)のような風格とオーラがありますね。
ただし夏場の訪問ですから、周辺の虫には注意です。

● 黄金水松をめぐる沿革

この地の主として本当に長い間、周辺を見つめてきた事でしょう。
ここでは触れませんが、この木にまつわるアイヌの伝説もあるそうです。

画像説明板の沿革を転記しておきましょうか。

1932年 帝室林野局保存木に指定
1956年 北海タイムス社主催の北海道文化財百選5位に入選
1962年 芦別市指定文化財に指定
1968年 北海道百周年記念事業で北海道名木美林に選定
1987年 北海道記念保護樹木に選定
1990年 読売新聞社主催の新日本名木100選のベストテンに入選
2002年 北海道の単木で初めての指定文化財(天然記念物)となる

この木のある場所は「黄金水松公園」として整備されており、駐車場もトイレもあるので近くに行った際は気軽に立ち寄られてみては如何でしょうか?

【酷道・獰道】「主要地方道(主要道道)」なのに70号がここまで放置されたわけ ※YouTube動画あり

目次

今回紹介する動画は、1993年に国から「主要地方道(主要道道)」として国道に次ぐ「格」を認められながら、ずっと砂利の山道として放置され続けてきた北海道道70号芦別美瑛線です。
動画としてはテーマの主役である道道70号、そして陰の主役である国道452号と、地元自治体・芦別市の炭鉱後を見据えた「観光への夢」を描いた数奇な物語にもなっています。

● ナビも案内する「主要地方道」

【記事動画】
ナビも示す「主要地方道」が、何故ここまで放置されたのか?【北海道ドライブ・北海道道70号】

尚、この道路は約3年前にも一度走っており、簡単な記事にもしています。

メイン撮影日は6月25日(その後何度か追加映像の撮影で出かけている)。
出発地点は美瑛と上富良野の境界付近にある「かんのファーム」で、嵐のCMで有名になった「5本の木」の遠景が気軽に見える所としても知られています。

嵐は興味がないので簡単に切り上げて、それではここから芦別・赤平方面に向かいます。カーナビはトップで道道70号を示しました。

まあ、この道がどういう道路状態なのか筆者は当然知っている訳ですが、何故この道が主要地方道でありながら長年こんな状態なのかの謎解き動画の撮影なので、早速出発です。

「かんのファーム」前の国道237号には、こんな青看板がありました。ん? 左下隅が青で塗りつぶされている・・・

● まさに ”獰道” 70号

美瑛側から道道70号に入って、しばらくは快適な田舎の舗装道路が続きます。「5本の木」もしっかり視界に入ります。

そして二股ゲートを過ぎて、ダート路面へ。
3年前と変わらない姿!懐かしい!

芦別の石炭と美瑛の木材を運んだであろう昔からのこの山道、現在でもダート部分が10km以上続きます。
ただ1993年に「主要地方道」に指定されたのならば、なぜ現在に至るまでこのような状態であり続けたのか・・・?

● 「主要地方道」70号が長年放置されたわけ

それは国道452号の存在でした。
この道路は同じく1993年、特に芦別市の強い期待を担って国道に昇格した道路です。当時、芦別市は「炭鉱の街」から「観光の街」への転換を強力に進めていました。
では最初に掲示した地図に、その頃の芦別市の「三大観光拠点」と旭川空港の位置を加えてみましょう。

これを見ると一目瞭然ですよね。
当時、芦別市は人口36万人の北海道第二の都市・旭川市及び旭川空港とダイレクトに繋がる道路を欲していたのです。
国も北海道もこれを後押し。
同じ芦別~美瑛間の山の中を通る道路ですから国道452号の整備が大優先になり、主要地方道とはいえど、道道70号の砂利の山道は必要最低限の維持管理を除いて放置される事となったのです。

● 近年になって、なぜ道道70号は改良・整備が進むのか?

ところが芦別が近づくにつれて、次第に道路の改良・整備が進められている部分が増えてきました。3年前に走った時も工事は行われていましたが、かなり整備が進みだした印象を受けます。

ここなどは舗装の新しさから、3年前にはこんな立派な道ではなかったはず。

長年放置状態だったのに、近年明らかに進む整備。

名物の「すれ違えない細い橋」。
これはまだ健在でしたが、この付近は大規模な線形改良が行われる気配がありました。
そういえば砂利道ダートに入ってからは、一台も対向車はありませんでしたね。

動画では「近年加速する整備の理由」を解明しています。
また冒頭にも書いたように、動画は単なる道路解説にとどまらず、地元自治体である芦別市の夢の頓挫と、「不遇な主要地方道」「期待された国道」の3つの要素を因果的な「数奇な物語」として描くよう努力しました。
是非、興味のある方はご覧になって頂ければ幸いです。

【ラーメン山岡家】若者に大人気!山岡家が北海道で成功したわけ

目次

● 若者に人気の「ラーメン山岡家」

少し前の出来事になってしまいましたが。
6月7日(日)の午後からYouTube動画の素材撮影に出掛かました。因みに完成した動画はこれです。

そして帰りが遅くなった為、夕食は旭川市内の「ラーメン山岡家 神居店」に入ってみました。
山岡家は10年以上前の昔、車での札幌出張が多くて自宅への帰りが遅くなっていた頃、この神居店の前身だった「旭川高砂台店」で遅い夕食としてよく利用したものでした。近年も職場の近くに別の店舗があったので、若い同僚とたまに一種に行ったものです。

山岡家の発祥は茨城県。
しかし札幌で大きく躍進して、北海道でお馴染みのラーメンチェーン店に成長しました。ただしお嫁様が「食べた事はない」というので、今回訪問してみる事にしたわけです。

訪問時間は20:30頃。
日曜日のこの時間帯ですが、駐車場も店内も主に若者の姿でびっしり。ちょっとこれには驚きました。
こんなに若者に人気があるなんて、ブログ筆者は知りませんでした。昔、頻繁に出張帰りに訪れていた時は0:00近かったので、こんなに混みあう風景も見た事が無かったのです。近年の利用は夜勤明けが多かったので、もっぱら「朝ラー」でしたしね。

結局、我々は20分ほど駐車場で待つ事になりました。

券売機でメニューを選ぶ際、普通の「醤油ラーメン」が690円だった事にも少し驚きました。今時、ラーメン一杯もう1000円の時代ですよ。値段、頑張っていますね。

● 山岡家信者を見た!

カウンター席に通され、セルフであろう水の場所を探しながら、
「さて、水は・・・」
とキョロキョロしていると、すぐに隣で食事をしていた30歳くらいの男性が
「水はあそこです」
と、間髪入れずに助言をくれました。

よく見ると隣のお兄さん、ギョーザでライス一杯、ラーメンでライス一杯とパワフルな食べっぷりです!
そして食事を終えてから手を合わせて「ご馳走様でした」とつぶやき、礼儀正しく退席していきました。

・・・あれは間違いなく常連さん。しかも信者さんだ。

我々がキョロキョロした時にすかさず「あそこです」と教えてくれた、あの素早い言動。それは「この店は自分の庭」という強い帰属意識があるからこそ、店員でもないのに、慣れない客に対して親切心を自然に発動してくれたのでしょう。
満足げに手を合わせて退店していく姿も、もはや食事ではなく ”礼拝” に近いものを感じました。
きっと彼らにとって山岡家はただの飲食店ではなく、日々のストレスをリセットし、活力を得るための ”聖域” なのかもしれません。

因みに山岡家では来店に応じて蓄積されるアプリポイントがあって、ファン、マニア、博士、伝道師というランクがあるそうです。
恐らく彼はその中でも上位ランク、きっと博士か伝道師クラスと想像しました。

● 最初は違和感、そして中毒性へ

さて、私が頼んだ「醤油ネギラーメン」です。これは840円。
お嫁様は初めてという事もあって、690円のノーマル醤油ラーメンを頼みました。

山岡家のラーメンを始めて食べた時はあまり馴染みのない味ゆえに若干の違和感は感じましたが、特に「不味い」という印象もなく、食べ慣れてくると「ファンになる人もいるよなー」という印象でした。
今では筆者もファンでこそありませんが、「山岡家のラーメン」という前提で美味しく頂いています。
今回はお嫁様が初めてだったので、事前に散々「山岡家のラーメンは獣臭がする独特のものだよ」と脅し(?)をかけておいた為か、食後の感想は特にネガティブなものではありませんでした。
「別に獣臭って程ではない。単にこれまであまり食べた事のない種類の味だ」
というもの。

● 山岡家が北海道で成功したわけ

ただし、思った事は。
山岡家は札幌で大きく勢力を拡大した訳ですが、それは札幌が味噌ラーメン(つまり濃厚なスープ)が強い地域であり、そこが山岡家の「ガツンと来る濃厚な豚骨スープ」と割と親和的だったからではないか?という気がしました。
もし、札幌が旭川のような「魚介系+鶏ガラまたは豚骨のW(ダブル)スープによる醤油味」といった、深みのあるコクと繊細な旨味が好まれる土地柄だと、どこまで行けたか・・・
実際、山岡家にこの日訪れていた客層は本当に若い人たちばかりでした。若年層は伝統的な「旭川ラーメン」にあまり頓着しなさそうですからね。

また、郊外の幹線道路沿いに出店するという物理的戦略も、車社会で広大な北海道のニーズに合致しており、24時間営業の店舗も多いので北海道の物流を支える長距離トラック運転手にはかなり重宝されたようです。
私はトラック運転手ではありませんが、10年以上前によく利用していた時はまさに同じような立場でした。

さらに今回訪問した店舗の厨房は、大変多忙であっても従業員間に「ピリピリ感」が感じられず、従業員それぞれが自身に与えられたルーチンワークを黙々とこなしているようでした。
テンションを上げるための掛け声などは、時に客には威圧的に感じるケースがあります。
しかし山岡家にはそれがありませんでした。もちろんこれは当該店舗特有のものなのか、あるいは山岡家全体に通じる雰囲気なのかは分かりませんが、そんなところに「客が居心地がいいと感じる→信者化」にも繋がっているのかもと、ふと思いました。

夕食が遅くなったときは、またお世話になります!

【うたしない チロルの湯】旧炭鉱の採掘坑から湧出しているお湯で肌はスベスベ

目次

6月27日の午後、赤平市の炭鉱遺産施設見学に行ったその足で隣の歌志内市にやって来ました。

● 道の駅と一体型の「うたしない チロルの湯」

歌志内市は炭鉱で栄えた街で、大正時代にはすでに人口2万人を超えていたそうです。戦後まもなくピークの4万6000人となりましたが、その後の炭鉱の閉山で人口は激減。2025年の国勢調査では2500人を割り込みました。

近年はアルプス・スイス風の景観づくりを進めており、チロルの湯もそれに倣っています。チロルという名称もアルプス地方由来。

「うたしない チロルの湯」全景。温泉の他に宿泊施設にもなっています。

画像正面に見える建物は、道道114号沿いにある「道の駅 うたしないチロルの湯」の背面。温泉・宿泊施設は丁度、道の駅の背後の高台に位置します。
この日はこちらに到着した頃から雨。

正面ロビー。
土曜日という事もあって、たくさん人が来ていました。

料金は500円でした。これは安い!

● 温泉データとお湯の様子

温泉成分分析表です。

申請者は歌志内市長名。
源泉名が「チロルの湯」で、泉質はナトリウムー炭酸水素塩冷鉱泉、pH値7.5の弱アルカリ性低張性冷鉱泉で泉温18.3℃です。
分析書日付は平成27(2015)年5月9日。

お風呂などの様子は下の公式HPをご覧ください。

旧炭鉱の採掘坑から湧出しているというお湯は、少しぬるっとしていて、「美人の湯」とか「美肌の湯」などと言われています。
確かに浴後の肌はスベスベ・ツルツル感がしっかりと感じられました。これは滝川・赤平・砂川方面からも通う人が結構いそうです。

休憩室です。
こちらで過ごしている人は多くはなく、ロビーのソファやマッサージチェアを使用する人が多数のようでした。

● 郷土の味「なんこ料理」とは?

休憩室向かいのレストラン。
レストランの名物は、馬の腸を煮込んだ郷土料理である「なんこ料理」。
かつての炭鉱で働く人々のスタミナ源として親しまれました。ルーツは江戸時代に秋田の鉱山で鉱山病の予防として食べられていたものが、明治時代に北海道の炭鉱へと伝わったとされています。

今回はここで食事をしなかったのでこれ以上は書けませんが、一度は体験してみてもいいかな、と。



【赤平・炭鉄港】赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設にて「北の産業革命」を知る

目次

● 「炭鉄港」「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」とは

6月27日(土)の午後から、赤平市の「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」のガイド付き見学会に参加してきました。

この「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」は、日本遺産「炭鉄港」(2019年認定)を構成する重要な歴史遺産の一つです。

そして「炭鉄港」とは。
これは明治から昭和にかけて、北海道の近代化を爆発的に推し進めた3つの産業(石炭・鉄鋼・港湾)を結ぶ壮大な物流ネットワークの事です。
具体的には

・炭(空知の「石炭」): エネルギー源として、炭田から採掘された大量の石炭。
・鉄(室蘭の「鉄鋼」): 石炭を使って、国を支えるための鉄や製品の製造。
・港(小樽・室蘭の「港湾」):船によるエネルギーの石炭や作った鉄の全国への輸送。

を意味しており、これらを最短で繋ぐ為に、北海道で最初の本格的な鉄道が敷設されました。鉄道も炭鉄港の中に含まれます。

「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」は、この中の「炭」に相当するわけです。 施設は「常設展示」「旧住友赤平炭鉱立坑櫓の建屋内部」「自走枠整備工場」の3つに分かれており、常設展示は見学無料、立坑櫓と整備工場の見学は元・炭鉱マンのガイド付きで有料となっています。
尚、開館日やガイド見学可能な時間は赤平市の施設HPでご確認ください。

● 炭鉱遺産ガイダンス施設の常設展示

ブログ筆者は13:30~のガイド付き見学会に参加しました。
まず常設展示コーナーの写真の場所で、見学会の概要・注意事項説明を受けます。
空席が多いようですが・・・この後、札幌市立大学(たぶん)の学生団体さんが席を占めたので大賑わいです。一般参加者も最終的に15名前後いました。

13:30になるまで、常設展示物を見学。

旧住友赤平炭鉱は1938年に開鉱、1994年に閉山しています。住友系の道内主力炭鉱として最盛期には年間200万トンの石炭を産出しました。

よく炭鉱街の博物館には往時の炭鉱資料や器具類などが展示されていますが、ここは施設が新しく、また専門的でもあるので非常に見やすいです。

● 旧住友赤平炭鉱立坑櫓の建屋内部

13:30になり、元・炭鉱マンのガイドさんからレクチャーを受けてから、参加者たちは高さ44mの旧住友赤平炭鉱立坑櫓の建屋内部に入ります。

ガイドさんによる説明風景。学生さんたちも割と真剣に聞いていました。
全国に残る立坑櫓の中でも、ここはかなり良好な状態で保存されているそうです。

こういうので坑夫たちは地中奥深く運ばれていったのですね。

第一立坑坑口。

階段を上って上階に行くと、坑口から石炭や資材、人員を搬入・搬出するための巻き上げ機がありました。

● 自走枠整備工場

立坑櫓の建屋内部が終わると、少し離れた場所の「自走枠整備工場」へ車で移動します。

ここでまず「自走枠」とは?ですが。
油圧駆動のシールド枠にて石炭掘削面の天井を支えつつ、採炭の進捗に合わせて自力で前進する大型採炭機械の事です。

ロードヘッダー(掘削機械)です。

そしてこちらがシールド型自走枠とドラムカッター。
なるほど、後方の自走枠で落盤を防ぎ、手前のドラムカッターで石炭を掘り進んでいくわけです。
石炭の採掘と言えば、今までもっとローテクなイメージがありましたが、なかなかのハイテクマシンですね。

ガイドさんの話によると、この手の大型機械は今も坑道の中にいくつも残されているそうです。閉山の際、大きな手間と経費をかけて地上に引き上げたとしても、これら大型機械にはその次の行く先は存在せず、したがって金銭的な価値にはならないからとの事でした。
特に旧住友赤平炭鉱は日本の最後の炭鉱群として、1994年まで現役でしたからね。

なかなか普段、お目にかかれない貴重なものを見る事が出来る施設でした。炭鉱で隆盛を極めた当時の息遣いを感じる事が出来ますよ。
皆さんも機会があれば、一度行かれてみればどうでしょう?