目次
● 「炭鉄港」とは何ぞや?
7月13日に芦別にドライブした際、「芦別温泉スターライトホテル&お風呂cafe星遊館 」で数時間過ごした後で、市内の炭鉱関連史跡を巡ってみました。
芦別の炭鉱史跡のうち、日本遺産「炭鉄港」(2019年認定)を構成するものは2つ。
そもそも「炭鉄港」とは何ぞや? ですが、以前記事にしています。
● "炭鉄港" 構成文化財「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」
では「炭鉄港」構成文化財の一つ目。

「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」です。
この画像は道道115号芦別砂川線沿いの「炭山川橋展望広場」からのものです。

石炭運搬の専用鉄道で、竣工は1945(昭和20)年。1989年まで使用されました。因みに、芦別最後の坑道掘削炭鉱である「三井芦別炭鉱」が閉山したのは1992年です。

国道452号から見た橋梁。
2009年には産業遺産として国の登録有形文化財に指定されました。ただし「文化財」なのは橋梁であって、ディーゼル機関車と石炭貨車は文化財ではないとの事です。
● "炭鉄港" 構成文化財「旧頼城小学校校舎」
それでは二つ目。

そのまま国道452号を進むと、あったのは「旧頼城小学校校舎」。
入口にロープが張られていたので、遠くからの撮影です。
1954(昭和29)年建設の小学校校舎で、レンガ造り一部鉄筋コンクリート造り2階建てです。
その前年に火事で焼失した頼城小学校を三井鉱山(株)が総工費の全額を負担、レンガ70万個を用いて再建したもので、国の補助金を受けずに私企業が全額出資とは、当時の炭鉱業が如何に儲かっていた事かを物語っていますね。
1958年に41学級、児童総数2,214名を数えた頼城小学校も2002年に閉校。2008年に国の登録有形文化財に指定されています。

現在は通信制の星槎大学が2004年から「芦別キャンパス」として使用しています。もっとも、キャンパスとしての使用頻度は少ないようで、大学側の文書を見ると
「芦別キャンパスの大学施設は国の登録有形文化財に指定されていることから、2020(令和2)年3月31日付で大学セミナーハウスとして利用することといたしました。 今後、地元の方々と協力しながら地域貢献の拠点として活用していく予定です。」
という記述を見つけました。
下は2022年に旧頼城小学校を訪れた記事(画像が多くあります)。
● 芦別のその他の炭鉱史跡
以下はその他の炭鉱史跡です。

旧頼城小学校の先を更に国道452号で進むと、現在の頼城市街地の中に「坑夫の像」がありました。

元々は戦時中に石炭増産を目的に制作されたものでしたが、風化損傷が著しかった為に改めて複製像を制作したという経緯が書かれています。
そして同じ頼城市街地の少し外れに、ある廃墟がありました。

これは「旧三井芦別炭鉱水明荘」と言って、三井芦別炭鉱で働く男性たちの独身寮だったとの事。炭鉱閉山後は近くのトンネル工事の宿舎として2004年頃まで使用されることもあったようです。
この建物は2代目で、以前の水明荘が火災などで使用が厳しくなり、昭和50年代に新築あるいは大規模改修が行われたという事で、比較的新しい建物という雰囲気が漂っていますが、使われなくなってからは急速に廃墟化が進んでいますね。
一応、今でもどこかの私有物っぽいので、中に入るのは控えました。それに筆者は「廃墟マニア」でもないのでね。
今でも芦別には、こういった「炭鉱を中心とした栄枯盛衰を物語る遺物」が各所に残されています。






























































