2023年の秋、京都旅行に行った際の清水寺の記録です。
宿泊ホテルがJR京都駅前だったので、タクシーで五条通(五条坂)を清水坂の交点まで行ってもらいました。
早めに行ったつもりでしたが、既に観光客はそこそこ来ています。
さすが京都観光のド定番。
清水寺の正門・仁王門。
1469年に応仁の乱で焼失してしまいましたが、1500年前後に再建されました。右は三重塔。
「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されている清水寺の創建は778年と伝えられています。
三重塔は847年に建てられ、現在のものは1632年に再建されたものです。
清水寺へは40年前にいわゆる修学旅行で来ていますが、もうそれ以来。全く記憶が無いですねぇ。
「胎内めぐり」が出来る随求堂(ずいぐどう)。
「胎内めぐり」とは、生まれ変わって願いを叶えてもらうように地下の暗闇の通路を通り抜ける儀式です。
筆者も初めてだったので、体験してみる事にしました(100円)。もっとも、その時は胎内めぐりの意義も理解せずに、だったのですが・・・
通路は想像以上に暗闇で、足元に気を付けつつ木や数珠で出来た手すりを頼りに約5分程度だったでしょうか、通り抜けることが出来ました。
とりあえず儀式完遂です(何も願わなかったので、意味ないか・・・)。
では本堂(国宝)の方へ向かいます。
本堂以降は拝観料が一般大人400円が必要となります。
本堂が見えてきました。
いわゆる「清水の舞台」です。
「清水の舞台」からの風景。
音羽山の急峻な崖に建築された本堂のこの舞台は高さ約13mとの事。
対英米戦争開戦前、陸相(開戦時は首相)の東条英機が「時に清水の舞台から飛び降りる事も必要だ」と言ったとされますが、古来より「清水の舞台から飛び降りる」は ”重大な決意で物事にのぞむ” 事を表したことわざになっていました。
清水の舞台と京都市街地。定番の構図です。
これまた定番の三重塔と本堂の構図。
順路に沿って坂道を下って来ました。
寺名の由来となった「音羽の瀧」。
こんこんと流れ落ちる清水の御利益にあやかろうと、長い行列が。
下から清水の舞台を眺めます。
現在の舞台は1633年の再建だそうで、これは「懸造り(かけづくり)」という、格子状に組まれた木材同士が支え合う日本古来からの伝統工法との事。
北海道の人間にはあまり見る事が少ない彼岸花。
寒さに弱い彼岸花は北海道では自生出来ないそうです。
「舌切茶屋」という変わった名前の境内茶屋で少し休憩しました。
ここで北海道に住む筆者の聞いた事のない「ひやしあめ」という飲み物があったので、頼んでみる事に。
「ひやしあめ」とは関西を中心に夏によく飲まれる飲み物で、麦芽水飴をお湯で溶いて生姜の絞り汁を加えて冷やした飲み物だそうです。
う~ん、京都っぽい(?)お味。美味しく頂きました。
「舌切茶屋」の名前の由来は以下のサイトを参照に。
仁王門前に戻って来ました。
時刻は10:30頃。明らかに観光客が増えていました。
コロナ禍がひと段落して、修学旅行生以外は外国人の姿が圧倒的に目立ちます。
ワイワイ賑わう清水坂。
長い年月デフレが続き、しかも円安なので外国人にとってはお得な旅行先となった日本。
日本は物価の高い国、だなんていつの話だっけ?
外国人にとっては今や物価の安い国なんだよね~。