昨年の2023年10月上旬に京都旅行に行ったのですが、宿泊ホテルがJR京都駅前だったので、早朝に駅周辺の名刹を簡単に歩いて巡ってみました。
宿泊した「ホテル京阪 京都グランデ」の部屋の窓から見た風景。
10月4日朝、最初に向かった東寺。
教王護国寺とも呼ばれており、国宝の五重塔は高さが54.8mあって木造塔としては日本一の高さです。
五重塔のアップ。
東寺の創建は796年、五重塔は826年と伝えられているが、塔はこれまで4度火災で焼失しており、現在のものは1644年に建てられたものです。
今度は大宮通(京都府道114号)を少し北に進んで東寺を撮影。
更に進んで慶賀門付近から撮影。
東寺という名称から、その対となる西寺も東寺と同じ頃に建てられましたが、1233年に五重塔が焼けて以降は衰退してしまい、廃寺になってしまいました。
そのまま北に向かい、今度は西本願寺前へやって来ました。西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山。
御影堂門。
御影堂とその右隣が阿弥陀堂。いずれも国宝です。そして先程の東寺と共に西本願寺は「古都京都の文化財」として、世界遺産の一つに登録されています。
実はここ、拝観料が無料なんですね。撮影時はそれを知らなかったので、境内手前までしか進みませんでした。
西本願寺から今度は東に向かい、やって来たのは東本願寺。東本願寺は(浄土)真宗大谷派の本山。
画像は手前が阿弥陀堂門、奥が御影堂門。
御影堂門を北側から。
御影堂門を正面から。迫力があります。
御影堂とその左側が阿弥陀堂。西本願寺と位置が逆に配置されています。
御影堂を正面から。
東本願寺も拝観料が無料なのですが、知らなかったので境内にはあまり入っていません。
本願寺が東西に分かれたのは徳川家康の時代です。そこには浄土真宗という一大勢力を弱めようという家康の思惑があったのですが、元々は織田信長が石山本願寺を攻めた時に本願寺側が和睦派と抗戦派に内部分裂し、その対立が後継者問題とも絡んでしまったのを後の徳川家康に利用されたのが遠因です。
こちらは東本願寺前市民緑地。
市道と東本願寺所有の植樹帯がこのエリアにあった事から、市とお寺が協議して整備したもので、愛称「お東さん広場」として2023年に完成しました。
見通しがよく、早朝の散歩にも非常に適した広場だと思いますね。